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金比羅街道を歩く・早島4、
塚山から若宮ー無津

7、峠道へ
 大内田から流通センターへ上がって消えている街道を、地図の上で延ばしていくと、塚山公園の東から南へと通過することになります。過去には「追いはぎが出た」といわれるこのあたり、今は「メタルワン建材」「山陽運輸倉庫」といった倉庫群が並んでいます。

 その南、塚山公園横の信号より少し南へ西にいる山道があります。この前千手寺88ヶ所で44~33までたどったところです。この終点の池のほとりから南へもう一本の山道が登っています。地図による方向としては、こちらが旧金比羅街道ではないでしょうか?少し進むと左に安政5年の「光明真言30万遍」と書いた石塔や明治2年の地蔵が見えてきます。あ、やはりこちらでよかったのですね。

 少し行くと峠の頂上らしきところに出ました。左右からの道と交差しています。傍らにお堂が2つ。「早島町史」で「一軒茶屋の地名の残る峠に建つ祠(早島町八尾」とあるものです。やっとさがしあてたのですが、現在の地図ではここは大内田と箕島の境界になっていて、早島町はもう少し先のようです。

 現在はまた廃棄物処理業者の処理場が目の前に大きな面積を占めています。街道はその処理場の右の塀沿いにさらに奥へと・・・。でも草ぼうぼうで通れそうにありません。地図でも先が行き止まりらしく表示が消えています・・・。

8、いよいよ早島町へ
 地図をそこから伸ばしていくと、若宮団地の一番奥、淳風会の裏側の道に出るようです。でも団地開発でなのか、そこからあと街道の痕跡は見つかりません。団地の東側に沿って南へ、そして国道2号線の陸橋を渡ると、取り付きに小さな神社と地蔵、そして「南無妙法蓮華経」の題目石が出迎えてくれます。これが「白狐伝説の鹿野四郎神社」と「カンカン石」なのでしょう。  街道は早島町無津へと入っていきます。(2013,2,26)

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