金比羅街道を歩く・早6、
市場から茶屋町入口まで |
道はそこから少し折れて「早島駅筋」で旧の宇喜田堤の県道152号線に出ます。そこからは早島の市街地を一路西へと進みます。 途中に荒神社がありました。ここにも「宇喜田堤と早島」という解説版がありました。早島町の地域の伝統への取り組みがよくわかります。またここには岡山県南に特有の「五角柱地神」がありました。「天照大神」を中心とした神式のものでした。この謎はまだ解けていないのです。そのうち何時か解いてみたいものです。
しばらく進むと「小浜(おぼう)の樋」の解説版がありました。もとの三番川の重要な樋があったところです。バス停として地名が残っています。私たちにも懐かしいですね。 そのまま進むと、正面に鶴崎神社の鳥居が見えてきます。金毘羅往来はここで県道と分かれて、その鳥居のすぐ手前を左に、旧道へと進みます。ここでも古い町並みが残っています。
県道を横断していくと、突然広いところに出ます。用水がとても広くて、心が洗われそうです。ここへは「弁財天港跡」という解説版があり江戸時代の早島の積み出し港の1つとして活躍した港だそうです。
道は途中の浜川との交差点で左に折れ、茶屋町の入り口である「水門橋」へと続きます。あれっ、直進した人もいたのでしょうか?
水門橋は早島の船本、弁財天から出た船が通った汐入川の橋で、昔はここにも港があったそうです。そういえば今でもここは川幅が少し広くなっているようですね。またここは帯江、茶屋町から曽根にまでいたる用水「浜川」が汐入川を潜る「底樋」があるところです。こうした大土木事業が江戸期からなされていたことは興味深いところです。
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