平家蟹さんの古墳見て歩記(岡山編4)

 これは、
考古学界の山頭火こと平家蟹さんが、1997年の夏から秋にかけて、パソコン通信NIFTYの会議室にアップされたもののうち岡山の部分を、ご本人の承諾を得て転載させていただいたものです。尚、見出しや構成、顔グラフなど1部変更させていただいた部分もあります。

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総社市西部及び真備町矢掛町の古墳の紹介です。

総社市西部及び真備町の古墳の紹介です。三輪山古墳群を除いて高梁川の支流新本川,小田川が作る東西に伸びるやや広い谷に分布しています。それも主に川の北側、山麓に分布しているのが特徴です(地図を見直していて改めて気が付いた(^^))。


総社市

三輪山古墳群(34°39′29″N 133°44′59″E)

 総社市西部三輪の丘陵上にある古墳群です。発生期の古墳(宮山墳丘墓),前方後円墳(天望台古墳,三笠山古墳)から後期の横穴石室の群集墳までバラエティーに富んでいて見学しがいのある古墳群です。現在散策路や説明板も整備され大変見学しやすくなっています。宮山墳丘墓は特殊器台で有名な古墳で他の発生期の古墳と違ってどう見ても前方後円墳ですね。初めて行った時案内板が宮山古墳となっていたし(名前も平凡だし(^^)只の平凡な前方後円墳としか判りませんでしたが,後で気が付いてもう一度見に行った次第です。

  近くの清音村にも峠古墳群があります。狭い範囲に50数基の横穴石室墳が密集していて典型的な後期群集墳です。道路建設で3基の古墳が移築復元され東側斜面にも古墳が密集していて見学しやすい古墳群です。

秦大ぐろ古墳(34°40′38″N 133°43′03″E)

 高梁川右岸の堤防上の道路を北上すると,総社大橋を過ぎた辺りの正面南秦の丘陵上に位置する全長56m の前方後円墳です。墳丘の保存状況は良好ですが薮に覆われてよく見えません。西側に円墳がありこちらは斜面をカットして作った様子がよく観察できます。
  ここも2基の古墳からなるペアの古墳群でしょうか。余談ですが岡山県は「ぐろ(土編に丸」の漢字がよく使われています。ネットでは外字が使えないのがつらい(-"-)ナヤムナー。西側麓に金子大池がありその南側の小独立丘陵上に秦茶臼山古墳(茶臼山も多いなー(^^))があります。全長38m の前方後円墳ですが墓地によってかなり変形を受けています。

金子石塔塚古墳(34°40′41″N 133°42′36″E)

 金子大池から西側の谷を少し行った北側の丘斜面にある径30m の円墳です。南に全長8.5mに片袖式石室が開口していて内部に地元の浪形石製の刳抜式家形石棺があります。保存状況はよく4個の縄掛け突起も残っていますがその形からして比較的古いタイプでしょうか(個人的判断です(^^;)。古い写真では棺が半ば埋まり蓋も開けられて写っていますからその後の調査で石室が清掃され蓋も元に戻されたようです。

長砂古墳(34°40′25″N 133°41′55″E)

 秦茶臼山まで戻って新本川が造る谷平野を西に1km 程行くと長砂地区の丘斜面にある県下唯一の横口式石槨墳です。墳丘は残っていますが石室開口部が急な崖に面していますから見学には注意が必要です。
  石室は羨道と石槨からなり羨道は普通の構造ですがその奥に刳抜式の身と一枚石の蓋からなる石槨があります。小口部分も現在はなくなっていますが石をはめ込む構造になっています。内部は長2.2m,幅85cm,高57Cmで人一人が入れるくらいの大きさですね。こちらの石材は竜山石製です。

砂子山古墳群(34°40′15″N 133°39′46″E)

 さらに谷を西に3km 程行くと山田地区の丘陵上に前方後円墳3,円墳1からなる古墳群です。主体部は竪穴式石室で4~5Cの古い古墳群ですが現在は林の中で分かり易いのは1号墳だけです。この前方部に竪穴石室が開口していて中に入ることが出来ますが人が一人入るのがやっとです。


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真備町

天狗山古墳(34°57′22″N 133°43′20″E)

 高梁川と小田川の合流点南側の天狗山山頂に位置する全長70m の帆立貝式古墳です。別名矢形大ぐろ古墳。古い写真に麓から山頂の古墳が写っているのがありますが現在はたどり着くだけでも大変、墳丘も樹木に覆われています。
 墳丘は後円部に大きな盗掘抗がありますがそれ以外は比較的よく周溝や外堤も残っています。

二万大塚古墳(34°37′05″N 133°42′42″E)

 天狗山から西に下っていくと(この谷筋にも幾つか古墳が分布している)平地にたどり着いた辺りに位置する前方後円墳です。全長35m と小形ですが前方部が発達していて後円部より大きくちょっと見にはどちらが前方部でどちらが後円部か判断に悩みましたね。後円部に横穴式石室がわずかに見えています。町史跡。

竜王塚古墳(34°38′07″N 133°42′04″E)

 二万から北へ2kmの上有井にある一辺17.5m の方墳です。低い尾根の先端を利用して作られていて保存状況も良好。主体部は竪穴式石室ですが現在は見ることは出来ません。

箭田大塚古墳(34°37′54″N 133°41′05″E)

 竜王塚から丘を超えた西側に溜池中之池がありその西側丘の南側麓にある円墳です。墳丘は径50m、高9mで南に石室が開口していて玄室長8.4m、幅3m、高3.8m、羨道長10.7m、幅2.3m、高2.4m と巨大なもので完全に残っています。中は玄門に柵があって羨道までしか入れませんが玄室の中を覗くと巨石で構築され床に箱式石棺状石槨が3基あります。墳丘背後には周溝も残っています。国史跡。

黒宮大塚古墳(34°37′17″N 133°40′29″E)

 箭田大塚から国道486号に戻って西に1.5km程行くと小さな丘が突き出ていてその頂部に位置する全長60m の前方後方墳です。頂部に熊野神社があり参道の石段がついているからあまり古墳という感じはしませんが墳頂に竪穴式石室があり覆い屋をつけて保護公開されています。この位置が中央から少しづれているから別の石室があるかもしれません。町史跡。


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矢掛町

矢掛町の古墳の紹介です。江戸時代の宿場町で本陣も残っていますが古墳時代も交通の要衝だったのでしょうか,平野がそれ程広くないにも関わらず多数の横穴石室墳が分布しています。ただその割には明確な前方後円墳はありません。数が多いので説明は簡単(かなー(^^;)にします。 (文中R,Hは墳丘径,高,TL,L,W,Hは石室全長,玄室長,幅,高さです)

圀勝寺裏古墳(34°37′04″N 133°37′10″E)

  横穴石室 TL2.3/W1.5,H1.3
 圀勝寺西北緩斜面上,墳丘殆ど無し,玄室のみ残る。下に石室の石材が転がっている。入室可。

奥迫古墳群

  1号(34°37′44″N 133°36′43″E)
    現存石室長L6.4,W1.1~1.4,H1.6
  8号(34°37′42″N 133°36′46″E)
    円墳R12,H2.5~3,石室長TL8.8,W1.4~1.8,H1.8
  9号
    円墳R7,石室長L7,W1.2~1.6,H1

 茶臼山の北側に二つの溜池(上池,下池)がありその東北方広い谷状地形の緩斜面に14基分布。「矢掛町史」の説明文の中で微高地や支脈上等が出てきますが現地に行ってもそのようなものはまづ分からず1,8,9号以外は古墳名の特定は困難でした。今でも岩石がごろごろしていて石室を作るには適した場所のようです。
 1号は群の西端に立地,封土は全くなく片袖式の石室が露出よく崩れず残っているなといった感じです。入室可,でも中はゴミ捨て場状態。1号の東方に鶏舎がありその背後に8号がある。墳丘,石室とも大変良好,無袖式の石室ですが天井部に段差がありこれで羨道と玄室を区別しているんでしょうか。入室容易。
  8号脇から山道を50m 程上ると右側林の中に9号があります。墳丘,石室とも概ね良好,玄室の奥に石を組み合わせた石槨が残っています。入室可。
  更に100m程上ると道沿いに2基の低い墳丘と天井部の露出した古墳が見えてきます。13,14号でしょうか,石室は共に幅が狭く細長いのが特徴です。入室困難。この東側に比較的状態のよい墳丘があり石室が開口しています(何号かは不明)。共に無袖式の石室で天井部に段差があります。これがこの古墳群の特徴なのかな。入室容易。
  更に上っていくと広い道に出て砂防ダムがありその東側尾根の上に1基の円墳(10号?)があります。
 墳丘石室とも良好で山側には周溝も残っており,この石室も無袖式,天井に段差があります。入室可。
  初めて行った時は(91年)は木を伐採した直後で大変観察しやすく矢掛町の盆地が一望できる大変見晴らしのよい場所でした。今は杉の植林でだんだん見づらくなってきています。更に上っていくと殆ど崩壊した石室が露出,1枚の天井石と側壁の一部がかろうじて残っています。

若林古墳群(34°37′39″N 133°36′23″E)

  1号:現存石室長L6.4,W1.8~2.4,H1.5
  2号:現存石室長L1.9,W1,H0.9
  3号:推定石室長L6.4,W1.9,H1.7

 下池北側の緩斜面に4基分布,封土はなくなり石室が露出している。1号は集落背後の尾根先端に立地,竹藪の中に石室露出,天井石は奥側を除いて無くなっている,入室困難。2号は1号の200m程北側畑の中,石室南側が無くなり奥部分のみ残存,石室としては小型で中に祠が祀られていることもあってまるで石の祠のよう,入室...入るまでもない(^^)。3号は1,2号の中間,奥壁と側壁のごく一部のみ残っていてまるで肘掛け椅子のように見える。奥壁の大きさからしてかなりの規模の石室と推定される。4号は不明。

行部古墳(34°37′06″N 133°36′26″E)

現存石室長L3,W.7-.8
茶臼山東側の集落の片隅にあり,上に小さな祠があって南西に石室が開口,墳丘の大きさの割に小さな石室で,奥壁にやや大きな石の他は小型の扁平な石が使われていてちょっと竪穴石室ぽい感じです。羨道壊失,入室不可。

茶臼山北古墳(34°37′11″N 133°36′21″E)

L45,FW16,前方後円墳?
茶臼山山頂北側にある古墳です。「矢掛町史」では前方後円墳の可能性ありとなっていて,実際そのようにも見えますが墳高が低く自然地形との区別が明瞭ではありません

小迫大塚古墳(34°35′27″N 133°36′45″E)

 方墳 L23~27 横穴石室 TL10.7 玄室L6.5,W2.4,H2.3
 中山の南側中腹に単独で位置する町内でも珍しい方墳です。墳丘,石室とも良好。山道を登っていくと開けた場所に墳丘と石室入口上の巨石がまづ目に付きます。この石材は今切り出してきたばかりといった感じの角の鋭い石です。中は両袖式の石室ですが玄門部の壁と天井にほぼ同じ幅くらいの石の出っ張りがあってより明瞭に羨道と玄室を区別しています。玄室も巨石で構成され,奥壁も一枚石で壁や天井も平面が揃えられていて全体が非常に整った感じで,他の古墳とは明らかな違いがあります。この地方最後の古墳なんでしょうか。入室容易。町史跡

青谷古墳(34°35′58″N 133°36′40″E)

 横穴石室 TL5.1/W1.2~1.5,H1.3
中山に北側麓近くに位置する。墳丘無し,天井石2枚露出。中に祠あり。入室可。

芋岡山古墳群(34°36′07″N 133°36′32″E)

 1号:組合式箱形石棺 L1.7,W.35,H.2
 2号:組合式箱形石棺 L1.6,W.55,H.35
中山北側麓,北に突き出た尾根の先端に2基の箱式石棺が露出。蓋石も残存。人骨出土。

池尻古墳群1号(34°35′41″N 133°35′57″E)

 1号墳:円墳 R11,H3.5 横穴石室 TL6.5/W.9~1.5,H1.7
 山の東側麓の緩斜面,雷師宮神社南方に円墳6基が密集して分布しているがまともなのは1号墳のみ。1号は墳丘,石室(無袖式)とも良好,玄室両側の壁がやや内側に傾斜しています。奥壁2枚,入室容易。2号墳は天井石が露出,入室困難。4号墳は玄室のみ残存,入室可。5号墳は天井石が無くなり玄室露出。他は不明。

橋本荒神塚古墳(34°35′54″N 133°35′53″E)

  橋本15号:円墳 R20,H5 横穴石室 /L5.85,W2,H2.35/L1.2
 池尻古墳群北方緩斜面の広い範囲に15基分布していますが確認できたのは2基だけ(++)ガックリ。 最も北側にあるのが15号(荒神塚古墳)で荒神社背後に墳丘があり南側に石室が開口,羨道は殆ど無くなっていますが両袖式の玄室が完存,
  この石室の最大の特徴は奥壁に石棚があることです。奥行き1.5m程で人一人が横たわるには十分の面積があります(と言っても遺体が置かれていたという証拠があるわけではありませんが(^^;)。かなり分厚くそのせいでしょうか下に石の支柱があります。入室容易。
 ここから南東墓地の側に11号墳の石室が露出,最初はただの岩塊かと思いましたが近寄ってみると内部に何とか石室構造が残っていました。入室困難。

古屋谷古墳(34°38′43″N 133°34′59″E)

 横穴石室(片袖式) TL11/W2.15,H1.5/W1.5
美山川左岸,尾根の南側麓。墳丘は多少残るが現代の石垣があるので注意しないと見逃すおそれあり。羨道は埋まっているが玄室開口。中は多少土砂が貯まっているが入室可。


正蓮寺谷古墳群(34°37′38″N 133°34′38″E)

1号:横穴石室 /L5.7,W1.5,H2.05
  2号:横穴石室 /L4.6,W1.1
  3号:円墳 R10,横穴石室 /L8.6,W1.5
  4号:横穴石室 /L6.8,W1.2,H1.3
  6号:円墳 R12,H2.5,横穴石室 /L5,W2
  7号:円墳 R12,H2.5,横穴石室 /L4.5,W1,H1.6
  8号:円墳 R12,H1.5,横穴石室 /L2.4,W1.5
  9号:横穴石室 /L6.2,W1.6,H0.9

 美山川,星田川の間の丘に10基分布。1,2号以外は尾根上。すべて横穴石室で玄室がやや持ち送りのある構造,奥壁も多数の石で構成されているのが特徴です。
  1号は丘の麓墓の側に墳丘が残っていて南に石室が開口,羨道壊失。玄室は奥壁,壁とも中型の石を組み合わせて構成されている。入室可中は物置状態。
  2号は1号のすぐ西側に石室露出,かろうじて構造がわかる程度に残存。
  3号は天井石が1枚露出,奥壁も失われている,入室可。
  4号は封土がかろうじて残っている,羨道は埋没もしくは壊失,玄室残存,入室可。
  5号は「矢掛町史」に載っている写真を見る限り一番立派な石室のようだが発見できず,クヤチー。
  6号は開口部分は狭いが玄室はあまり埋まっておらず以外と広い。,入室可。
  7号は開口部分に見えている天井石はかなり大きいが玄室の石材は小型,半ば埋まっていて入室困難。8,9号はともに天井石が露出,小型の石材からなる玄室は半ば埋まっていて入室困難。10号は不明。

カイチギ谷古墳群(34°37′50″N 133°34′30″E)

  1号:横穴石室 /L7.3,W1.7,H1.8
 正蓮寺谷古墳群の北側,丘の東側麓近くに位置する。墳丘も比較的よく残っていて南東に無袖式?の石室開口,構造が正蓮寺谷古墳群とよく似ていてそれをやや大型化した感じです。入室可。

岡ケ市古墳群(34°27′29″N 133°34′33″E)

 1号:R12.5,H2.6 横穴石室 T/L4.8,W1.7,H1.8
 2号:R14,H1.5~2
 4号:R14,H1~1.4
 6号:R9,H1~1.3
正蓮寺谷古墳群の谷を挟んだ南側の丘の上に6基分布。1号丘頂近くにあり墳丘石室とも良好に残存,羨道は埋没もしくは壊失していますが玄室は奥壁が1枚石で壁も平面に整えられています。2,4,6号は墳丘を確認したのみ。

川田古墳群(34°37′43″N 133°34′12″E)

  1号:円墳 R7~8,H1.5~2,横穴石室 /L4.8,W0.8~1.3,H0.8
  2号:横穴石室 TL5.8/W1,H1
  4号:横穴石室 /L3.3/W1.4
 星田川谷筋のやや開けた場所の南西に面する山裾に位置しています。1号は墓地脇の林の中に石室が西に開口,羨道はなく玄室のみ。入室可。でも写真を見直すと奥に向かって左側の壁は内側に傾斜しているのに右側は外側に傾いている。これってひょっとして石室が崩壊しかかっているのかな,コワーーーイ。
 2号は1号の北西にあり南に石室が開口,羨道の一部と玄室残存。奥壁が一枚で天井石も下面が平面にカットされています。群の中では一番整った石室です。入室可。
  4号は墓地の片隅に天井石が露出。石室もかろうじてわかる程度に残っている。入室不可。5号は崖面に石室らしき石材がかろうじて残っている。3,6号は不明。

仏田1号墳(34°37′46″N 133°34′06″E)

 横穴石室 TL4.8/W1.41.7
川田古墳群のすぐ北側にあり,本来この古墳群に属しますが別の名前が付いています。1号墳ですが2号以下はありません(^^)。よくある例ですが素人を迷わすネーミングですね。古墳は畑の中にありますが天井石が無くなり石室下部のみむき出しになっています。

車谷古墳(34°38′11″N 133°33′38″E)

  横穴石室 TL8.3/W1.7,H2.1
 大倉川の谷の最奥の緩斜面に位置する。石室露出。玄室と羨道の一部が残る。羨道の壁が水田の石垣として利用されていて,そのまま玄室の壁と続いているから両袖式でない事だけは確か(誰でも分かるって(^^))。奥壁1枚。入室容易。古屋谷古墳と同じく谷の奥,単独,大型石室と共通性があり終末期に近い古墳なんでしょうね。

向山古墳(34°36′50″N 133°34′54″E)

  円墳 R20,H4 横穴石室(片袖式)TL12.2/L7.6,W2.1,H1.8
 伽藍山北西麓,段丘上に位置する円墳です。林の中ですが墳丘は良好に残っているようです。東に開口する石室もほぼ完存。入口はやや狭いですが奥行きの長い石室です。奥壁2枚。ここも単独で存在する大型石室墳です。入室可。

王子の前古墳(34°35′50″N 133°35′26″E)

  石室長 L4.3,W1.1,H1.4
 谷の出口辺りに石室露出。墳丘無し,玄室のみ。入室可。

日妻古墳群(34°35′49″N 133°34′22″E)

1号:R10,H2.5~3 横穴石室 /L4.5,W1.4~1.7,H1.9
2号:R8,H1.5~2 横穴石室 /L3.5,W1.1~1.4/H1.6
 一ノ瀬川右岸,谷の出口付近に位置する古墳です。1号は山側が埋没していて墳丘ははっきりしない。西に石室開口,羨道は壊失しているが玄室残存。壁は面が切り揃えられていて比較的整っている,奥壁1枚。入室容易。
  すぐ側に2号があり石室開口,羨道が埋まっているが玄室残存,こちらの石室の方がやや粗雑な感じです。入口狭いが入室可。「矢掛町史」には山裾の常夜灯の脇にあると書いていたが林の中でなかなかわからず常夜灯を見つける前に古墳を見つけてしまい,帰る段になって常夜灯を発見した次第です(^^;)。

毎戸古墳群

  1号(毎戸塚古墳)(34°36′21″N 133°33′13″E)
      円墳 R30
  2号(毎戸荒神塚古墳)(34°36′14″N 133°33′40″E)
     墳丘流出,横穴石室
  4号 墳丘流出,横穴石室 現存長 /L5.6,W2
 鳶山南側麓近くに分布する古墳群です。1号はR486北側低い尾根の先端に位置する中期の古墳,主体部不明。2号は荒神社の鳥居脇に石室が露出。羨道はなく玄室のみ,壁の部分は石材がカットされ面が揃えられている。天井石も大型の扁平な石が使われている。入室可,でも中は物置状態。
  4号は更に東側,墓地脇の林の中に石室天井石が露出,石室も2号よりやや粗雑な感じ。内部は半ば土砂で埋まっているが入室可,芋の貯蔵穴が掘られている。なんちゅう利用法じゃ(-。-;)。3号は不明。

P.S.「日本の古代遺跡(岡山)」では町内に二つの古墳(橋本荒神塚,小迫大塚)しか紹介されていなかったのであまり期待せず行ったのですが偶々道を尋ねた人が地元の旧家の方で古墳の案内をしてもらったり,江戸時代の駕籠を見せてもらったり大変親切にしてもらいました(改めて御礼をm(__)m)。
 その時見せてもらった「矢掛町史」に多数の古墳が地図入りで載っていておかげでその後何度も足を運ぶ羽目になりました。町史が戦後まもなくの頃書かれたらしく記述の内容や写真が現実と大分違っていて探すのに結構苦労しました(それはそれで楽しいものですが(^^;))。

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