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福岡藩料理人頭だった戸川さんの子孫が・・・

 あるとき電話がかかってきました。「私は戸川と言います。江戸時代に福岡の黒田家に仕えた戸川家の末裔です。」と言われたのです。
 戸川さんと言えば、江戸時代初期に庭瀬藩(岡山市)にいて、のち早島、帯江、妹尾、撫川などで旗本として幕末まで栄えた一族です。私も地元である帯江の戸川家については、いささか研究した経験があるのです。しかし、福岡とは??初耳でした。

戸川家初代の3男から・・・

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 そして岡山へ来られたのです。喫茶店に落ち着くと、資料を出して話始められました。
 「(福岡の戸川本家の14代目子孫・K氏から得た情報によると、)わが先祖は、戸川正盛といいまして、いちおう戸川家の初代戸川正利(秀安)の3男ということになっています。でもちょっと年代が合わないんですね。戸田家(西宮)に養子入りし、後に戸川姓に復帰しています。もしかしたら、正利とは兄弟かもしれません。」
 「大阪城で料理人をしていたのですが、落城後浪人して江戸へ出ます。そして福岡藩の黒田長政公に召抱えられるのですね。後に料理人頭となっています。」
 「その後、代々福岡藩の料理人頭を勤め、明治にいたっています。」
 「直接には我が家はその分家になります。」

 なるほどなるほど、戸川家を研究している私にとっても、大変に貴重な情報です。ついつい一日お付き合いをし、戸川家関連の岡山県南の遺跡などを案内してまわることになりました。
 え、そうですよ。庭瀬城跡、撫川城跡(写真右)、早島戸川陣屋跡(戸川家記念館)、帯江戸川陣屋跡、そして常山にある初代戸川秀安(友林)の墓などを案内してまわったのです。
 でもこうして戸川家の遺跡をまとめて回ってみると、私にとっても戸川家というものを再認識するいい機会になったのもたしかでした。(2009,7)


後楽園にて