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帯江・豊洲の金毘羅灯籠(その1)

 私が金毘羅灯籠に興味を持ったのは、研究家のNさんからお話を聞いたことからでした。 「普通の灯籠は、神社などに奉納してあるんですけど、金毘羅灯籠はあちこちにあって、それ自体で金毘羅さんを祭っているんです。こうした街道だけでなく、家の庭や山の中など様々なところにあります。金毘羅さんのお札を入れたりして灯籠自体を拝んだんですね。金毘羅信仰というのは、他に無いこういう独特な形態を持っているんです。」
 なかなか知的興味を刺激する解説だったのです。じゃあ、この帯江や豊洲地区にもきっとあったにちがいない・・・。探索がはじまりました。

西羽島のちいさな自然石灯籠

 最初はやはりNさんからの質問でした。「羽島の心鏡寺の前に、自然石の小さな灯籠があるようですが、これは金毘羅灯籠だと思うんですけどどうでしょう?。」
 早速行ってみました。でも道端にポツンとあるだけで、何も書いてありません。中に塩が入れてあり「どなたかが祀っておられるようだ。」と、ご近所のおたくで聞いてみました。
 で、そのNKさん「我が家は30数年前にここへ来たのですが、そのとき明治22年生まれと言うおばあさんがご近所におられて『これは金毘羅灯籠です。昔金毘羅さんにまいるのは大変なので、みんなこれを金毘羅さんに見立てて南を向いて拝んでいたんです。この道は昔の茶屋町街道で、倉敷から金毘羅詣での人がみんな通った道です。』と聞きました。それ以来我が家でこの灯籠をこうして祀っています。」
 あ、やっぱりそうなんですね。おまつりご苦労様です。ぜひ大切にしてあげてください。  で、ここでは新しい発見もありました。何と心鏡寺の境内に稲荷堂があり、そのなかにお稲荷さん、妙見様(元の天の御柱神社祭神)とともに金毘羅さんが祀ってあったのです。前の灯籠と何か関係があるのかもしれませんね。
 もうひとつ、このテーマとは関係無いのですが、おとなりに明治時代の道標がありました。『距岡山元標5里』『三石から15里14町54間3尺』『明治15年・・・』などの文字が見えます。おっとこれも貴重な歴史資料なのですね。

帯高古開の金毘羅さん

 次に私の頭に浮かんだのは、倉敷市帯高、元の小字南古開にある「龍神社」のことです。時々散歩の途中で立ち寄っていたものですから。で、そこに自然石の灯籠が在ったような気がしたのです。
 改めて来てみますと、なんと本殿の横に小さな石の社殿があり金毘羅さんが祀ってあるではありませんか。中に木の由来書きが入れてありました。
 『明治26年12月、中村源次郎忠嘉が・・・金刀比羅宮へ来請し・・・』と読めます。すぐ近くの中村家が金毘羅さんをもここへお祭りしたもののようです。
 そしてその前にあったのがこの灯籠です。たしかに金毘羅灯籠なのですが、後日研究家のNさんのご託宣をあおぎました。「これはおそらく村内のどこかからここへ移されたものでしょうね。明治時代にいろんな小社の合祀がされましたので。」というお話でした。たしかに灯籠の方向が南を向いてないですね。

中帯江の『せのかみ』

 豊洲地区中帯江の、古い土地の入り口に「せのかみ」と言われる三角地があります。地神様をはじめ幾つかの神様が祀られているのですが、「せのかみ」の由来は判っていません。「塞の神」という説が有力なのですが??たしかに「岐の神」が祭られていて「岐の神=境の神=塞の神(さいのかみ)」、村境で悪疫を入れさせない神様のようです。
 で、そこにある灯籠がどうも金毘羅灯籠らしいのです。見てみますと確かにどうみても他所の金毘羅灯籠と同じです。「聖地に一つだけある灯籠は・・・」という定義??からみてもどうやらそのようです。研究家Nさんのお話でも「間違いなく金毘羅灯籠です。」でした。

西田の荒神様境内に

 倉敷市西田、豊洲小学校の北側に荒神社があります。その境内、鳥居をくぐってすぐ左にあったのです。立派な金毘羅灯籠です。この灯籠、北に「金毘羅宮」とあり、たしかに南へ向かって金毘羅さんを拝むのですが、その裏には「吉備津宮」と、吉備津神社をも拝むものになっていました。

高橋の東、添新田の常夜灯

 国道2号線、西田の交差点を南へ入って3キロばかり進んだところに金毘羅灯籠、常夜灯があるのです。汐入川にかかる高橋(たかばし)のすぐ東、そう、JR瀬戸大橋線踏切のすぐ手前です。ここは元の高須賀、添新田(そえしんでん)と言われるところで、昭和27年に豊洲地区が倉敷市に合併したときに分離して茶屋町に編入された地域です。地神様の隣の常夜灯。今は何を語っているのでしょうか?  ここは元は早島からの金毘羅道で、大勢の人が行きかったところだそうです。時の大庄屋片山庶助の日記(早島町教育委員会)にもこの街道のことはたびたび登場します。  それにしても立派な常夜灯ですね。昔はこれに毎晩灯が入れられていたのでしょうか。

五日市荒神様の自然石灯籠は?

 倉敷市五日市、元の小字「里」に荒神様(荒神社)があります。田んぼの中にいくつかの小さな社殿があるところです。そこになんと写真のような巨大な自然石の灯籠があったのです。  「昔は各家が交代で灯を燈していたそうです。」近所のご夫人のお話。階段も添えられていますし、もう「金毘羅灯篭」に間違いありません。私の背丈の2倍を越えそう。3mもの巨大な灯籠がそびえています。横には荒神社、秋葉宮のほか「鶴崎神社遥拝所」という石造物も。  すごいです。などと思っていたら、別のご近所の人「あれは吉備津彦神社を祀ったものと聞いています。北へ向かって吉備津彦神社を拝むんです」と教えていただきました。
 ざ、残念。でもあまりに素晴らしい灯籠なので、ここに飾っておきます。

そして、茶屋町の金毘羅さん

 忘れてはいけないのが「茶屋町の金毘羅さん」です。昔は文字通り殷賑を極めたというとおり、大勢の人々で賑わったところです。金毘羅街道が茶屋町から天城に抜けるところにあり、私も子供の頃はその賑わいを経験しているのです。そして向かいにあった映画館で「ビルマの竪琴」を見たのも私個人の深い思い出でもあります。  改めて訪れてみたのですが、「京都信徒」「大阪信徒」という2つの灯籠をはじめ、各地からの信仰の様子や、「天満宮」「山上大権現」など末社の数々などかっての賑わいを想像させるものがたくさんあり、「すごい」の一言でした。
 「宝暦8年(1758)鎮座」とありましたから、今から250年ほど前に出来たお宮さんなのでしょうね。

早島、舟本津の常夜灯

 早島町の舟本津出場にある常夜灯にも「金毘羅大権現」とありました。ここは昔早島陣屋の港としてにぎわったところです。倉敷美観地区にある金毘羅灯籠と同じく、船の航海安全を祈ったのでしょう。「文化二(1805)」とありますので、ちょうど200年前のもののようです。お隣には荒神社がありました。

いくつかの小さな灯籠は

 そして、私個人の周回ではなかなか発見できない金毘羅灯籠の数々・・・。その一端をお見せして今回のレポートをおわります。今の県道茶屋町線から北へ一本。水門橋というところがあり、お地蔵様があるのです。その奥にある自然石の灯籠がどうも金毘羅灯籠だと思われるのですが、どうなんでしょう。素人の私には何とも判別できません。どなたか情報をお持ちの方、よろしくお願いいたします。

 というわけで、まだまだこの帯江・豊洲地区には、知られざる金毘羅灯籠が眠っているものと思われます。情報が寄せられ次第続編を書きたいと思うものです。皆様よろしくお願いいたします。(2006,3)

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