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浦の男の子孫は『浦邊』さん

 
浦の男の子孫がいる!!
   源平合戦取材中の私に、面白い話題が寄せられました。浦の男の子孫だという人がいるというのです。しかも浦邊(浦辺)さん!!
 こんな興味深いお話し、もう帯江だとかどこだとかは関係ありません。早速粒江船津地区にお住まいの浦辺さんをお訪ねしました。
 「そういうように言われているんですがね。何も裏付けになるようなものはないんですよ。私なんかが祖母あたりから聞かされているんでは、藤戸寺にある『うなぎかぎ』は、元我が家にあったものだとかいうことくらいですね。」
 「浦の男屋敷跡というものがあるらしいのですが、まだ行った事はないんです。行こう行こうと誘ってくださる方は居られるんですけどね。でももう山の中で道が荒れてて、行けないらしいんです。」
 なにしろ800年余り前のことです。証拠などというものがあるのが不思議なのでしょう。お話しとしてうかがいました。でもなんだかそれらしいお顔の浦辺さんです。う~ん。浦の男って、こんな顔だったんだ??。

 

「浦の男伊吹兄弟説」の謎解明は??

 浦の男の兄が喜八郎で、先陣庵庵主になったという説(前出)を話す私に
 「そんなことは初めてうかがいました。先陣庵の前に子供の頃から『これがご先祖のお墓ですよ』といつも拝まされていたお墓があるんですが、何か関係があるんでしょうかね。」
 先陣庵横の地域墓にある浦辺家のお墓に案内していただいて驚きました。周囲の墓群と違って、ほとんどが自然石に彫り込まれたもので、上半分に大きく梵字のようなものがあります。浅学の私にはそれが何なのか見当もつきません。後日調べてもらったところでは、どうやら蓮の上に「アー」という梵字が書いてあるデザインのようでした。
明治などに混じって「元禄」などという文字がかすかに読み取れるものもあります。江戸中期からこのようなお墓を作っていた浦辺家、この地域でどのような役割をえんじてこられたのでしょうか?。
 普通には庄屋とか名主とかだと思われるのですが、浦辺さんのお宅にはそういった伝承はないとの事でした。
 別に先陣庵前にあったこの浦辺家の「先祖のお墓」は、おそらく江戸期のもののようでしたが、でもお坊さん達のお墓に混じってあるように思われます。「浦の男の兄の喜八郎が先陣庵主になった」という説を裏付けるには少し不足かもしれませんが、先陣庵主の一人のお墓なのかもしれません。すごいことになってきました。
 「備前前鑑児島物語」にある「浦の男伊吹兄弟説」、こんにちの裏付け取材はこんなところです。

PS: ところでこの浦辺さん、学校の先生をなさっておられたそうなのですが、「定年になってはじめたゴルフが、いつのまにかシングルになってしまいましてね。」とはにかみながらおっしゃる。さすが浦の男のご子孫??、なかなかの”豪の者”のようでした。(2003.7)

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