海の神様・箆取神社のこと |
「連島というと、厄神社の他に『ヘラトリ神社』って、変わった名前のお宮さんがあるんだって?」 なるほどなるほど・・・。それにしても箆取(ヘラトリ)って、変わった名前ですね。どんな云われがあるんでしょうか? 連島の少し西部、西浦小学校の西の急坂を車でそろそろと上がって行きました。ウネウネと行った先に、ようやく駐車場が。そして・・・。
駐車場から一段上がったところから、左右に立派な回廊があります。すごい!まるで吉備津神社みたいではありませんか。 |
回廊を曲がりながら2段に渡って登って、ようやく拝殿などのある所に出ました。すごい立派な社殿です。さすがに塩飽大工の作といわれるものですね。
受付におられた方にお伺いしました。「神主さんですか?」 |
なるほどなるほど・・・。資料を見ますと、その大綿津見命の娘でここ箆取神社の祭神の一人、豊玉姫命が海幸彦と結婚していますね。
「壬申の乱(672年)のころに鎮座したことになっています。前面の海上に〇に箆という字の神紋が現れて、それで『箆取大権現』というようになったそうなんです。」
「ここは『神使七拾五社御眷族』も祭神になっていまして、『水火盗難厄災開運の神』としても、霊験あらたかなんですよ。」
拝殿の横に「神恩洪大」と書かれた立派な石碑がありました。説明を見ますと「倉敷市出身の大本三代教主補出口日出麿(1897~1991)の書で、青少年時代に当神社によく参詣されていた記念として・・・」と書かれています。
帰ろうとしたら神主補?さん、「まだまだ珍しいものがありますよ。石の方位盤もそうです。」と案内していただきました。
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また私が初めてこの箆取神社を知ったのは、倉敷市帯高の竜王神社に「箆取神社」と書いた石碑があったことからでしたが、今回ここの石段を寄進したのか、茶屋町の旧家佐藤家の名前の入った石柱も発見してしまいました。帯江地域でも、かってはここ箆取神社への信仰が広がっていた様子がしのばれました。(2017,9)
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