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長瀬源四郎の墓発見!

 貴重な情報が寄せられました。もっとも貴重と感じたのは私のみかもしれませんが。
 私が「明治維新の切腹事件と長瀬家のこと」で、「私の目には「長瀬源四郎」と読めるものはついに見つかりませんでした」と書いたお墓が見つかったのです。

 幕末に、領主帯江戸川家が領地没収になったのを、復活してもらうべく朝廷方の池田藩に陳情に行ったが果たせず、ついに帰路切腹してしまった2人のうちの一人が「長瀬源四郎」です。1年余り前わたしも一生懸命にお墓を探したつもりだったのですが??

 私の出版した「帯江の歴史・取材記編」を読まれた小原さんという方が、「それなら我が家のお墓のすぐ上にあるよ。」と教えてくださったのです。
 なるほど、行ってみるとすぐにわかりました。草むらに覆われてちょっと見にはお墓があるようにはないのですが、たしかに「長瀬源四郎」という立派なお墓です。
 気がつくと前出の長瀬家の記事中のwさんのお宅のお墓のすぐ下段でした。こ、これに私が気づかなかったのです。まさに不注意としか言いようがありません。読者の皆様、まことに申し訳ありませんでした。
 でも、こうして出版することで新しい事実があきらかになる・・・。本当に多くの人達の英知を結集するって、こういうことなのですね。すばらしい経験でした。小原さん、ありがとうございました。(2004,9)


こんな草むらの中に、すごい立派な「長瀬源四郎」の墓があったのです。

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