出雲の杉原さん取材記 |
人名辞典をみますと、出雲の杉原さんの一番の有名人はどうやら元の安来市長で安来第一病院などを設立された故杉原寛一郎さんのようです。また今回お訪ねした杉原徹彦さん兄弟もお医者さんですし、医師の方が他にも何人かおられるようです。
今回はこのホームページへ以前にメールをいただいた方や、人名辞典などを通じて連絡をとらせていただきましての出雲行きでした。まずは松江記念病院とその老人保健施設に創立者の杉原徹彦さんをお訪ねし、お話しをうかがいました(別項)
松江をあとに国道9号線を西に走っていましと、ときおり「杉原◯◯」という看板が目につきます。宍道湖をすぎたあたりにあるのが、15年あまり前に358本という驚異的な数の銅剣がみつかった荒神谷遺跡(右の写真)のある斐川町です。この斐川町も50軒近い杉原家のあるところで、以前からメールをいただいたり資料を送っていただいたりしている、杉原◯子さんも住んでおられます。ちょうどお昼頃に通りかかったこともあって、◯子さんには「道の駅湯の川」まで出てこられ昼食をつきあっていただきました。すごく感じの良い娘さんでした。ついでにこの道の駅での話しをしますと、ふと通りかかった女性従業員の方の名札も「杉原」だったのです。また少し南の「湯の川温泉」の宿のご亭主にも杉原さんがおられると聞きました。
さらに西の出雲市へ行きますと150軒近い杉原家があります。なかでも東部の大津町というところに有力な杉原一族がありまして、その本家の御当主には今回の調査行でたいへんお世話になりました。あ、あとでわかったのですがこの方のご子息とは以前にこのHPを通じてメールのやりとりをしたことがあったのです。本当に奇遇でした。
また出雲駅の南は仮名手本忠臣蔵で有名な塩冶(えんや)判官の土地なのですが、ここの神門寺(右写真)の周りも杉原姓の多いところと聞きました。今回の取材旅行ではお会いできませんでしたが、「出雲杉原総本家」というお宅もあるようなのです。次回にはぜひおめにかかって取材したいものです。
出雲平野の北部、平田市はそんなに杉原姓が多いというわけではないのですが、「平田開拓の草分け一族」の1つであり、お寺や神社の「本願家」として重きをなしているようで、今回取材させていただきました。
また奥出雲でも三刀屋町や木次町など、古い杉原氏があるようです。
結局今回は主に3箇所の取材行となりましたが、私のHPはまだまだ気長く続けるつもりですので、また機会をとらえて出雲取材を続行したいと思います。(2000、11)