備後(広島県東部)の杉原氏

広島県東部、かっての備後の地に、杉原氏がまとまっています。

元来杉原氏は、石清水八幡宮の社領であった、椙原保(備後南部にかってあった)の保司だったといわれています。
 また、伊勢平氏、平貞盛の子孫、光平が、鎌倉将軍頼家より、備後守護職に任ぜられ、「八ツ尾山」(今の府中市)に城を築き、「杉原」と名乗ったのが最初ともいわれています。(1202年、建仁2年。杉原光平)。「尊卑分脈」という本などでは、この光平が「本郷」「木梨」など備後一帯の杉原の祖ということになっているようです。

 その後、この1族に杉原信平、為平という兄弟がいて、足利尊氏に従って九州攻めに参加しています。このときの九州多々良浜での目を奪うばかりの奮戦が賞され、日本一の豪のものと尊氏が母衣に書き記す程の軍功をあげ、彼らは備後の木梨庄、福田庄、高津社などの地頭職となりました。
 その後も杉原氏は、この備後の地で威勢を張ってきたのですが、戦国の世となり、神辺城主「杉原盛重」がでています。
 この地の杉原氏からは、「木梨」「椙原」「高洲」姓を名乗る家も出ていて、毛利氏が関ヶ原戦に負けて、防長二州に封じられたとき、多くの高洲氏もこれに従って萩や近辺に移住したといわれています。

 現在の広島県東部の杉原氏は、下記のように福山、尾道両市を中心に、約800軒を超えています。(NTT電話帳調査による)。

福山市尾道市三原市瀬戸田町世羅町府中市
34120542393132

 参考文献:「杉原盛重」(立石定夫)
「八ツ尾山、杉原城主記」(杉原茂)

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